初めて中国から体系的に茶の知識を、世に現しただ書物は唐の陸羽(733年 - 804年)の書いた『茶経』と言われています。
この本には、茶の木の育て方、収穫方法と道具、点てかた、飲み方、歴史などが詳しく書かれていました。
茶を飲む習慣と茶の製法は平安時代に遣唐使によって日本にもたらされたものです。
当時の中国茶は現代の烏龍茶に似たの半発酵茶と考えられています。
この茶の色こそが現代日本人のいうところの茶色です。
当時の日本人は、茶を嗜好品としてよりも薬としてとらえており、必要量のみを煎じて飲んだと考えられています。しかし、当時は喫茶は、日本に習慣的に根付くことはなくて廃れてしまいました。
鎌倉時代に、日本に禅宗を伝えた栄西や道元によって薬として持ち込まれた抹茶が、禅宗の広まりと共に精神修養的な要素を強めて広がっていったといわれています。
さらに茶の栽培が普及すると茶を飲む習慣が一般にもしだいに普及していきました。
室町時代においては、飲んだ水の産地を当てる闘水という遊戯から、闘茶という、飲んだ茶の銘柄を当てる一種の博打が流行しました。
また、本場中国の茶器「唐物」がもてはやされ、大金を使って蒐集し、これを使用して盛大な茶会を催すことが大名の間で流行しました。これを「唐物数寄」と呼んだらしいです。これに対し、村田珠光が茶会での博打や飲酒を禁止し、亭主と客との精神交流を重視する茶会のあり方を説きました。
これがわび茶の源流となっていきます。
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